父のDNAを引き継いでいる実感(両親へのメッセージ)

本日は訪問看護を受け、作業所へ通い、診察を受けて、処方箋を受領し、夕食から実家へ。
金が無いから食べに行ったというだけではなく、相談事や、先週退院した父に確認したいことがあった。
相談事は余市味覚マラソン参加と親戚応援で、余市に居る親戚の協力を得るのは難しいのではないかとのこと。最も応援に呼びたい親戚の応援なしで、10kmを走るのは気分的に辛い。
父に改めて確認した所、今回の手術入院は「尿管結石」だったらしい。石の手術は今回が三回目。両親の話を聞いて記憶している範囲では、初回は「胆石」だったが、消化器外科領域では全部取れておらず、前立腺に残っているとか(調べてみたら「前立腺結石」と考えられる)で、初回から一ヶ月経過せずに二回目の手術。この時だけ病院の手術室前で母と待っていた。その前回から、定期検査を受けていたら、小さな石が大きく成長していて手術が必要と言われたらしい。その石の成分によって、分子整合栄養医学的に不足している栄養分が分かるらしいが、成分の話は確認しなかったらしい。感覚的に、成分よりも大きさを気にしてしまうものかもしれない。

入院先の病院はアパートから徒歩10分程度なので、入院中に何とか時間を見つけて見舞いに行った。30分も居なかったけど、初めて知ったことがある。最近、毎朝起きて近所を1時間半近く歩いていると言う。大工職人として生きてきた父。「自分の身体は大丈夫だ!」みたいな感覚で過ごしてきた印象だった。休みの日は、ダラダラとテレビ(特に洋画)を見ている様子しか記憶していなかったので、驚いた。何かの体調異変によって、健康を意識するようになるというスイッチ、私もそのまま引き継いでいると実感。尤も、私は二十歳で前立腺炎による血尿があった為、父よりも健康を意識したのが早い。作業も黙々と進めていくのも、父子して同じだと思う。

ところで、母が用意した夕食のメニューがいけなかった。焼魚は良しとして、ポテトサラダ(玉葱入り)が山盛り(家族で一皿)でご飯という組み合わせだけ。何も考えずにご飯は減らしたが、野菜嫌いの父は予想通りポテトサラダを食べない。母は既に食べ終わっていた。本来ならば、野菜→肉・魚→ご飯の順だが、じゃがいも、かぼちゃは糖質アウトの食材。従って、焼魚→ポテトサラダ→ご飯の順で食べるしかなかった。

夕食なので、もし低血糖症状が発生して寝込んでもそのまま眠りについてしまえば良いと思っていたが、別の作用が発生してしまった。感情のコントロールが出来ない状態になってしまったことに気付いた。実家から戻って、急に泣き出してしまったのだ。仕事以外では、ぐうたらな父だと思っていた(実際、実家の電球の交換をしている光景を見たことがなく、母が全部やっていた)が、毎朝歩くと聞き、尊敬できなかった父を今は尊敬するようになった。

一方、母は一度座ると起き上がるのが大変で、支えようと手を握った瞬間に気付いた!関節リウマチが進行している!そんな大変な状態で調理していたんだね。

病気のデパートと言われた私が、2年前に精神障害者として認定され、反応性低血糖症と判明し、親孝行もできないまま今に至っている。薬の量は減ったが、不出来な息子で御免。毎週は無理だけど、隔週で親のために調理したいと思った。調理の苦手な母の料理が不味くて食えない日がかなりあって、「文句があるなら自分で調理した方が良い」という発想で、三度も家を出て両親と距離を置きたかった。その考えは今も変わっていないが、距離を置いたからこそ親子関係は悪くないのかもしれない。